いろいろ海外メディアを調べたりしていたら、いくつもの情報でけっこう勉強になる記事を発見。日本のゆとり教育には、実は「若者をふぬけ」にさせることで、本来の日本人の文化を教育レベルで破壊して、日本の本来あるべき教育文化を乗っ取る「仕込まれたワナ」が存在する。それが実は韓国や中国にもたらされたものである、という情報がかなり海外の日本ビジョンを語るサイトで報告されはじめてきた。日本人でありながら、日本を守ってこそ日本人であるのは、どんな諸外国でも母国を守るのは当然のことであり、それを君が代斉唱を拒むといったキチガイが存在するということだ。
なるほど・・・・確かに考えておかなければならない。
日本は、座禅、そして肩をピシャリと木のヘラでぶんなぐって痛みをもって精神を養うことがもっとも大事な国。 痛みをもって、命の尊さを勉強する、そうした日本の精神文化があるし、それは、本当に命を守れるものなので、大事なこと。
スポーツの成績だけのことでいえば、学校のクラブでチヤホヤと名前を呼んで、選手のポジションを「実名」で声をかけて応援すれば
「成績だけは伸びる」しかし、それは偽善であり命は磨かれない。
例えば、横断歩道を渡るこどもが「ゆとり教育」でゆとりにひたって赤信号になってしまったと想像してもらいたい。
ゆとり教育者いわく「・・・・・○○ちゃーん、赤ですよー、ほらほらクルマがきましたよ、あぶないからゆっくり注意して歩いてね。」・・・・キーっ、がちゃーん、ドーン。・・・・・血みどろで命たえる子供・・・・・
「ほーら、痛かったでしょうw、だからあぶないっていったの。ゆとり教育なので、ゆっくりでいいので死んでね」
・・・・これが、ゆとり教育
日本は違う。本当の日本では、そんな言葉をいってごまかし教育なんかせずに、あぶない子供がいたら
「腕に怪我をしようと、とにかく言葉より行動が先で、力強くグイっと引き寄せてクルマの事故から子供たちを守る」その時の怪我で痛み、こどもが泣こうと、命を守るためには大切な「行動」である。
これを、韓国洗脳の「ゆとり教育By日本乗っ取り」では「体罰」とマスコミで騒がせている・・・・
命を守ることを「体罰」と呼び、殺すことを「ゆとり教育」という。
結論を言えばこういうことである。節理が完全であれば、これを100%否定できなければ「ゆとり教育」とはマユツバであることもまた証明される。
洗脳やマスコミ汚染で、気が違ってしまっている人たち・・・・気が違うことを「気ちがい(キチガイ)」という。これも別にもともと差別用語では無い。差別という定義も韓国などによって汚染されてはいまいか?
ふと、そんなことも真剣に考えたい。昭和40年代~50年代では、キチガイやテンカンなど、差別ではなく、むしろ事象を早急に表現することで、あたたかく見守るための意志伝達の用語として使われていた。
司法や裁判にも韓国が邪魔をして支配しはじめた平成の日本・・・・
ちょっとした教育の怪我程度を「たいばつだ」「暴力だ!」と、日本に在日している韓国マスコミが支配する汚染テレビ放送が日本人に語りかけ、それをマンマと信じる日本人・・・・次の時代を担うたいせつな子供たちがこうして「親」から切り離され、日本の魂がどんどんすたれてゆき、若者はどんどん「バカモノ」になり、韓国や中国製品の奴隷になっていく。おかしい社会がますます加速し、本来の日本文化がすたれて、どんどん支配されていっている気がしてならない。そのうち、日本の文化である精神修行の座禅も、こいつらマスコミの手にかかれば、すべて「体罰だ!」「暴力だ!」となってしまうのだろう・・・・
(読みぐるしい点が多々ありますことお詫びします。あくまでも個人の日記ですので社会のモラルでよろしくお願いします。力不足で表現しきれない点も多々あると思います)