いえ、なんとなくピピピっと来たので書いてみます。
なんか天から声みたいな、それヤバっ。
アヌンナキの声というのは、勝手な妄想オンラインを書くだけですが、実はアダムとイブの「エデンの失墜」というのは、りんごとされる知恵の実ではなく、「爬虫類のたまご」ではないか?
妄想ぶっとびモードで書きますが、
実は爬虫類の進化系とされるアヌンナキは、シュメールの時代に地球に降りてきて文化を伝えるが、シュメール文明前に「人類らしきもの」と言われる文明はなく、つまり「人類は存在しない」突如として人類が生まれたわけです。サルを遺伝子操作して、レアメタルの採掘のために、いずれ数千年で知能が発達するよう遺伝子にプログラムをセットして、想像という力で、もともともっているアヌンナキの技術がサルでも開花できるようにセットされて、それが今の人類。
でも、実は、聖書の寓話が伝えるように、大洪水時代にノアによって箱舟で人類絶滅から復活しているわけですが、聖書でいう人類創造の時間軸ポイントを言うと、ノアの数世代前の父がアダムになるが、その寿命は1000年ほどでしたので、アダムからノアまで10世代と書かれていますので、寿命がかぶる※部分を計算すると、ノアの洪水の言われている紀元前2500年頃から更に7000~8000年前の「紀元前年9000年~2900年頃」というと、実はこの時代がシュメール文明誕生の時なんですよね。
アダムからノアまで10世代
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120125/p1
ノアの洪水は紀元前2500年
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomemasu.htm
シュメール文明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
つまり、エデンの園はシュメールにあって、そこでは最初の人類に自由が約束され、しかし、重力支配と無欲と興味いう地球にのみ見られる生命本来の「生きる原理要求」があり、これによってウルクの民(シュメールの最高の時期&終焉の時期)の王であるギルガメッシュが父であるアヌンナキ支配を滅ぼしたのではないか?
実際、エジプト文明は紀元前4200年~3200年だが、本格的な支配がはじまるのは初期王朝時代の2600年前で、実はここに聖書の洪水神話がかぶる。話がややこしくなるひとつでもあるが、
ここの解法としては、エジプトでいう「出エジプト記」での人類と、今の人類は別ではないか?と考えると、歴史が理解できるように思える。
つまりは、まだ農耕に近くも農耕とは呼べないような「森の恵み」「平原の穀物」をいわば日本人でいえば「山菜取り」のような感じで生きていたのが初期人類であり、これはすでに絶滅していて、そこに掛かっている部分がノアの洪水時代であり、またシュメールつまりアヌンナキによってその後に遺伝子改造プログラムで生まれたのが「現在に生きるヒト」の祖先ではないか、
聖書の言う人の歴史は、聖書でもノアの洪水で終わった、と言っているように、何らかの手法(アヌンナキが大洪水で流し去ったか)または何か脳内破壊周波数でもUFOから世界に流したか、有害電波・・・
いずれにしても、箱舟(船と言うより構造は箱であり今でいう無音室)に守られていたノアとその家族と動物たちは生き延びたわけだ。それが、どのような洪水だったかについては、後の言い伝えで加筆されたのではないかと考えられる。水ではなく、実は別の洪水だったのではないか? 洪水の持つ音の「何かが全体を包み込んで溢れてくるさま」=であるからして、音波でも熱でも洪水という表現でも差支えなく、それが理解できない後世の人々が、桃太郎伝説のように勝手に赤鬼・青鬼・鬼ヶ島なるものを作るのと同じに、きっと水による洪水だったのではないか?と伝えたのかもしれない。
その箱舟がもしかしたら巨大なUFOという話も、また面白い
いずれにしても、アヌンナキの実証は古代エジプト文明でも壁画に絵として残されているので、疑いの余地はないわけだが、エジプトの壁画では人類とされるものが「喜んで奴隷になる」というような状態があったことも記録されているそうだ。つまりビシバシ叩いて暴力で貶めた奴隷ではなく、自ら望んで奴隷になること=従業員になることを望んだそうな。これは、実は人間の最近の文化でもあげられ、太陽の祭壇(毎日、生きた心臓を納めたとされるインカ帝国)では、なんと自ら率先して神の座に早く着きたいという願いもあって、自分から心臓を差し出していたという記録があるらしい。
そうしたら、これらの人たちも旧人類か? おそらく遺伝子レベルで地上の生命体がもっている集団能力と無意識の行動による同レベルパターンではないか。現代の人々も同じで、巨大な組織を無条件に好み、巨大な国家を無条件に愛し、巨大なシステムが提供するものを無条件に信頼して受け入れ、巨大な軍事産業をとても好み、弱者や平和を徹底的に破壊して残虐の限りを尽くすのが現代人の特徴のひとつ。
しかしシュメールの破壊後から、キリスト伝来あたりを特に中心にして、平和・協調・友愛が唱えられるようになり、これまでの人類がまったく180度異文化を取りいている。
結局、アダムが「知恵の実りんご」ではなく「アヌンナキの爬虫類のたまご」を食べてしまって、要らないスーパー能力を芽生えさせてしまい、そこからアヌンナキ(神)の目からみて完全だった人間のバランスが狂ってしまい、命の恐怖や友愛の裏切りの孤立といった恐怖で人類を従わせることが出来なくなり、人々が共喰い(戦争)も楽しむようになり、好んで人を殺し、死んだらニュースで祭り騒ぎ、本当にそういう情報が欲しいなら裁判所や警察にいけば最新情報閲覧で観れるわけでテレビで流すようなものではないわけで、とにかく血に飢えた存在になるようになったという、そのきっかけが「爬虫類のたまごを食す行為」とりわけ爬虫類の進化系である「鳥類のたまご」を好んで食べて友愛を取り入れつつも、サルとしての本能である「殺す」「奪う」時には他の群れの生後まもない子ザルまで食べてしまうという人間の能力がバランス崩壊している。
たまご料理は友愛だが、いっぽうで、食してしまうことで腹の中で「友愛」を支配下におさめてしまい、結局、人間が凶器にもどってしまったという妄想。
こんな内容で映画作りたいなー。某タイムマシンのやつも私が20年前に考えて発表した地場の内容とまったく同じだしね
妄想終わり・・・さあ、2013年の暑い7月の始まりです。